akaruri’s diary

ミニマリストからリバウンドした女の記録

可哀想でものが捨てられない場合の解決策

ミニマリストになるべくして、断捨離や断活を進めていると

自分の感情に戸惑い、停滞してしまうことがある

例えば、まだ使えるのに捨てるのは、ものが可哀想だという話

どうやって気持ちを断ち切るのか

シンプルな生活のお共に、参考になれば幸いです

 

 

 

doll

ものへの『執着心』という一言で片付けられるのか

こういったものへ感情移入してしまう気持ちは、とてもわかる

私もものをぶつけた際、痛かったね!ごめん!と言ってしまうタイプである

それと共に、かわいいという気持ちも湧き上がる

そんな時よく言われることが、執着心は捨てろという言葉

個人的には、『執着心』という言葉がしっくり来ていない

おそらく愛着と敬意に近い

 

 

もらったものほど難しい

大切にしているものほど、捨てづらい気持ちはわかる

プレゼントしてもらったものを、1年窓辺に飾ってから使用するなど

以前の私は『愛着』の暴力をふるっていた

ものへの愛着と、くれた方への敬意を履き違えていたのである

では、プレゼントした側の気持ちはどうだろう

 

 

役にたっていることが嬉しい

プレゼントしたものが、実際に使われている姿を見かけると嬉しいものである

あなたもそのような経験がないだろうか

ものだってそうである

あなたの家に来たのは、使って欲しいからなのだ

役にたっていると実感した時、初めてものは意味をなす

大切に仕舞い込むのではなく、大切に使われると嬉しいのだ

その気持ちを無視していないだろうか?

 

 

まずは見えない場所へ移動してみる

気持ちが勝って、どうしても捨てられない場合

中身が見えない袋に入れて、クローゼットの奥の方などに移動する

そして半年や一年と期間を決めて捨てる日付を袋に書き、

中身を見ずに捨てるようにする

(袋に燃えるゴミや金属ゴミなど区分を書いておくと楽である)

 

捨てる時、この袋の中身なんだっけ?と思うようになっていれば、

あなたの愛着は嘘だったということになる

好きなものであれば、忘れるわけが無い

また、生活に必要になったものであれば、

そもそもその袋の中にもう居ないはずである

愛情の勘違い、思わせぶりな態度は罪深い

 

 

 

物供養に変換する

『捨てる』と思うから、気持ちが進まない

そんな時には『供養』であると変換してみる

活躍の場が無いと執念に満ち満ちた屍を、クローゼットにしまっていると思うのだ

幼い頃にもったいないおばけが迎えにくるぞ!と、

親御さんに言われたことがないだろうか

あれの逆である

使ったことないおばけが迎えにきて、あなたを追い詰める

(なんなら、捨てられない気持ちでもう追い詰めているはず)

であれば、供養してあげることが筋だろう

供養しない方が、可哀想ではないだろうか?

 

今までありがとうの気持ちと、ごめんなさいの気持ちを伝えて

ものとお別れするのである

 

 

参考になれば幸いです