ミニマリストであることを捨てた
ここまでミニマリストという言葉を連発してきて、こう言うのもなんですが
別にミニマリストじゃなくて良いなと思っている
自分を何処かにカテゴライズすることで安心していただけ
私は『私』という特別なカテゴリで生きていきたい
ただの一般人である私の持論ですが、参考になれば幸いです
盛大にリバウンドして
過去に私はミニマリストになりたくて、無理をしている時期があった
ただただ毎日、この場合ミニマリストならどう考えるだろう?とか
ミニマリストならどう捨てるだろう?と考え、病気になってしまった
気付いたら部屋は荒れ放題
仕事もうまく行かず、絶望的である
何よりも『ミニマリスト』という言葉に縛られた時期だった
結局君は何がしたいの?
自身の声を無視したが故の悲鳴が、リバウンドだったと今では思う
片付けの本を読み漁り、ブログや動画を見てものを減らし
多少無理してでも苦しくても前に進むことが『ミニマリスト』としてあるべき姿である
と、そう曲解していた
自分自身が何をしたいのか、それを見ずにただ情報のままに実践する
最初はそれでも良いのかもしれない
だが、ある程度ものを整頓したあたりで行動の意味を理解しないと悲鳴が上がる
私はミニマリストになりたいわけでは無い
だから、ミニマリストであることを捨てた
きっかけの問題
やめてみて気付いたことは、ただ人生を変えるきっかけが欲しかったのだということ
きっかけという意味であれば、転職でも離婚でもなんでも良いのである
ものを捨てることは、今日からでもはじめやすいきっかけである為
自分含めミニマリストになろうと安易に考える方が増えたのだと感じた
ミニマリストの自分カッコイイ
①今年ボーダーが流行っているらしいし、いっちょ無印良品でトップス買ってみるか
②ブログで『ミニマリスト最高!人生変わった!』と言っている人も居るし憧れるなぁ
いっちょやってみるか
上記の内容似ている気がしませんでしょうか
何者でも無い自分に看板を掲げることで価値を見出したい
その気持ちとてもわかる、痛いほどに
私もファッションミニマリストだった
だからこそ言いたい
カッコイイから取り入れるのは、やめておけ
疲弊する可能性がとても高い(少なくとも私はそうだった)
今後ミニマリストの看板をおろして、自分で勝負するための過程に活用するのであれば
個人的には背中を押したい
ミニマリズム、質素倹約、シンプルライフは確かに人生を豊かにすると感じているからだ
自分を無視していないか?
つまるところ、自分をもって欲しいということである
Googleなどで検索するときに『ミニマリスト ●●』で探すと
もしかしてこれですか?とご丁寧に候補をいくつか出してくれると思う
それがGoogle先生の良いところでもあり、悪いところでもあるが
みんなはこんなワードで調べているよ?君もそうなの?と提案してくれている訳だ
この多くの人が検索しているというところが怖い
要はみんなと一緒のラインに立っているということだ
そこで思考が停止し、成長がストップしている
検索して参考にすることは良い
参考にした後にどう動くかは自分次第であって欲しいのである
ミニマリストはスタートライン
無駄なものを捨て、人生の効率をあげたところでふと立ち止まって欲しい
やっとスタートラインに立てた
さて自分はどうなりたい?
私は『私』という特別なブランドの社長なのだ
自分は自分のブランドをどうやって運営する?
ミニマリストという大企業に勤めるか
個人事業主として自分を運営していくかよく考えて欲しい
参考になれば幸いです